各業界では何かしら支援があるものですが、合唱については残念ながら支援するところがありませんでした。そこで、演奏会によるチャリティーや募金でお金を集めて、東北の復興に向けた合唱活動をそのお金で支援する形の「合唱に特化した復興支援」で、私たちならではの活動を行ってきました。
「合唱の復興」が達成したら、「ハーモニー・フォー・ジャパン」は解散します。合唱が復興して解散できる幸せを夢見て、前に進んでいきたいと思います。
何をしたらいいのか…でも、何かをしなければいけない
2011年3月11日。19~21日に福島で開催される「コーラス・アンサンブル」の準備に追われていたそのとき、東日本大震災が起こりました。地震と津波に原発事故が重なり、本当に大変な状況で、もちろん福島でのイベントは中止。仕事でつながりの深い合唱王国東北に、早く「歌声」を取り戻さなければと、思いがつのる中、3月末に、東北3県の合唱関係者が郡山で集まり、現状を報告しあうと理事会が開催されるとの情報が入りました。「どうなっているのだろう、とにかく行ってみよう。」長岡京市の協力で得た水と飲みものをトラックに積んで、日本海周りで新潟へ。そこから会津磐梯山を抜けて郡山へと、800kmをひたすら走りました。理事会での皆さんがお互いの無事を涙ながらに喜ぶ姿、東北を走っているときにラジオで聞いた被災の生々しい情報…「文化どころではない。」本当に重い気持ちで京都に帰ってきました。
「これは何かをしなければいけない。」何をしたらいいのか漠然としていましたが、とにかく何かをしようと思い立ちました。まずは、本山先生に相談。「うーん」とうなった本山先生でしたが、翌日に「やろう」との返事をいただきました。まずはコンサートをやろうということで、パナムジカ・ショールームの隣に住む長岡京市市長に、長岡京記念文化会館を借りるお願いをしました。当時は50歳でした。60歳までの10年間を一区切りとして取り組もうと、翌年の2012年3月11日(日)だけでなく、3月初めの土日を10年間借りるお願いをして、今思えば強引なお願いでしたが、趣旨を理解していただき、なんとか了解をいただきました。
伊東恵司先生にも相談をし、同志社の寒梅館もおさえて、2カ所で演奏会を開催することになりました。やるべきことが、形として見えてきたわけです。
合唱に特化した支援活動
2011年の3月後半に、フランクフルトで開催された楽譜の見本市に参加しました。海外の同業者が私を見て、「吉田、よく生きていた!」と涙ながらに私の手を握りしめます。ビックリしましたが、海外でも震災の様子は大きく報道され、日本全体が被災しているように思われていたのです。「何か手を貸すことはないか。」同業者からの暖かい言葉に、はたと、復興に向けた曲集の出版を思いつきました。話は進み、中高生が歌えるレベルの楽曲の提供を各社にお願いして、復興に向けた曲集の出版にこぎつけました。こうして、できることをやってきた結果、コンサートが生まれ、楽曲の出版もできました。
各業界では何かしら支援があるものですが、合唱を支援するところがありません。コンサート、出版というような合唱に関わる形で支援して、小さなことでもよいから実にしていけばいいのだと思いました。演奏会によるチャリティーや募金でお金を集めて、東北の復興に向けた合唱活動をそのお金で支援する「合唱に特化した復興支援」。方向性が固まってきたところで、非営利型の社団法人を立ち上げました。これで、オフィシャルに募金を集めることができ、私たちの考えで、いろいろな活動の費用面での支援を行うことができます。集まる金額は小さなものかも知れませんが、合唱活動に特化して支援することで、私たちならではの生きたお金の使い方ができるのではないかと思っています。
合唱が復興して解散できる幸せを夢見る
5回目となる2016年3月の復興支援コンサートでは40団体以上のエントリーがあり、演奏会のプログラムをどうやって組もうかとうれしい悲鳴が上がっています。来年も被災されている中高の合唱団を招いて、彼らのメッセージをしっかりと受け止めていきたいと思っています。
同じく2016年3月ですが、ついに仙台でコンサートを開催します。本山先生の指揮による「ロ短調ミサ」。東北をはじめ、全国各地から趣旨に賛同した合唱やオーケストラのメンバーが集まってくれます。本当は、10年目に東北で演奏会をやって解散!という構想を持っていたのですがが、5年目で東北演奏の第1歩を踏み出すことになりました。
社団法人「ハーモニー・フォー・ジャパン」の目標は合唱の復興です。震災を乗り越えて充実した合唱活動を行っている合唱団もありますが、被災した沿岸部では学校そのものが戻っていないという状況です。一方で、オリンピックに注目が集まるなど、震災そのものが風化しつつあるのも事実です。どれだけ復興したかといえば、まだまだ道半ばではないでしょうか。
「群青」や「永遠の花」という曲が生まれ、東北での演奏会もスタートを切るなど、活動は広がりを見せています。細くてもいいから、何がしかをやり続けていくことが大事だと思っています。「合唱の復興」という目標が達成したら、「ハーモニー・フォー・ジャパン」は解散です。合唱が復興して解散できる幸せを夢見て、前に進んでいきたいと思います。